ささきーやです。
普通の日々なんてものがどのようなものだったか、もう忘れてしまいました。
さて、本日の話題。
人の気持ちがこもった言葉を読むということは、
大切なんだなと思ったこと
何をいまさらとか、何をいきなり言い出したのかと思われた方もいらっしゃるでしょう。
ここしばらくの間、私は「情報」についてこだわって集めていました。もちろん、少しでも有用な情報を得ようと考えること自体は、なんら問題はありません。
ただ、起こっていることに対して、私はこう思う、こう感じたという文章を読む機会が激減していたのかなと気付きました。
というのも、ツイッターにも書いたのですが、ある人が特定の事象に対してこう考え、こう行動したという話を読んで、非常に面白かったのです。面白かっただけでなく、納得がいくとか、私も同意する考えだ、という気持ちにもなりました。
情報は点ですが、事象についての考えや行動を述べられたものは線です。線のほうが、当然点よりも視認できるポイントは多くなります。
また、感情に触れて考えることは、少し自分を豊かにしてくれるのかなと思いました。これは上手く説明できませんが、コロナ以降、「効率を追い求めて合理的にやる」ことにこだわってきました。合理性は悪いことではありませんが、みんな気持ちがありますからね。合理的に考え続けることに少し飽きてきたのかもしれません。疲れてきた、とも言えます。この一年近く、甘えが許されないというか、少しでも気を抜いたらそこで糸が切れる、みたいな状況で走り続けてきましたからね。
特に下の世代に対しては、もっといろんなことを話して、自分で考えてもらいたいなあと思ってきました。けれども、それも限界が来ているのかもしれません。
感情的に納得できない合理を取り、傷ができる
自分の中でも相反する感情があります。詳しく書くと、愚痴になってしまいかねないのでここでは割愛しますが、全てを自分の思い通りにできないことだけは、誰にとっても確かなことです。
その中で、どうしたら少しでもましな展開に持っていけるのか、必死で、私も考えて生きています。でもうまく言語化できずに、自分でも腹落ちしないような状況が多く生まれるのがこのコロナ以後でしょう。
一人でも多くの方が考えること、感情を持って選ぶことを知っていきたい。それがここからの新たな一つのテーマとなるのかもしれません。恐らく、私にとってはここから少しの間がこの一年で最も苦しむ期間になることでしょう。後悔のしないようにいきたいですね。